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2011年3月13日 (日)

東日本大地震

 大網白里町に向かっている最中、外環上で地震が来た。はじめは前の車が蛇行運転していることに気付き、その後自分たちの車も同じ状態にあることに、そして、道路脇のポールが大きくしなっていることから、はじめて地震であることに気付く、やがてすべての車両が停車。しかし、揺れは収まらない。これで橋脚が倒れれば、終わりだ。「もう少し、違う死に方はないのか」との思いが脳裏をよぎった。
 幸いにも地震はおさまり、一般道へ降りた。しかし、電話は繋がらず、状況把握が出来ない中、辛うじて大網との連絡がとれたので、引き返すことを告げ、中之条へ向かうも、すべての高速道は閉鎖。唯一の一般道も大渋滞。しかも、役場との連絡も寸断する中で時々繋がるときに用件を一気に伝え、現場の状況を知るという有様。結局中之条到着は夜半を回っていた。
 翌日も中之条役場と六合支所で幹部職員が警戒と情報収集にあたる。中之条町では幸い大きな災害・被害もなかったが、私もトラックで町中を巡回。こんな時黒のトラックは役に立つ。六合地区の震度5,5でも被害は裏山の岩が崩落した程度。
 しかし、テレビをつけると、想像を絶する光景が映し出されている。16年前の阪神淡路大震災の時、山本龍さんと物資をトラックに積み神戸に行ったときのことが思い出される。ほとんどの2階屋が押しつぶされて1階になっている状況をみて、あまりの惨状に目を疑ったが、今回の地震と津波はそれをも凌ぐ惨状だ。何しろ、津波の被害がひどい。いまだ、救助さえままならない状況でおそらく被害は拡大する傾向にあるだろう。一人でも多くの救出を願うばかりだ。ちなみに、吾妻広域消防は地震発生翌日未明に救援隊が出動している。
 学生時代、仙台に住んでいただけに、頑張ってほしいと願う思いは強い。枝野幹事長も学部は違うが同期だった。強い思いでこの災害に臨んでくれるはずだ。さらに、救出の後の再建は大変なことになると思う。特にメンタルなケアが難しい。そして、こんなときこそ日本人の共助の精神を発揮しよう。

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コメント

中之条町が東電による輪番の停電の明日の対象になっていることをテレビのニュースで知りました。いずれ片品も対象になることでしょうが、この状況の中ではみんなで力を合わせることが大切です。寒さの折、体には気をつけて、なんとか切り抜けたいものです。ご自愛ください。

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