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2009年6月21日 (日)

合併に対する基本的姿勢

 まずはじめに私の合併に対する基本的な考えを申し上げておかなければならないと思っています。いわば一般論的なものですが、国の進める合併には基本的に疑問をいだいてる立場です。現在市町村の数は平成の合併でほぼ半減しましたが、本当に人間社会にとってプラスになったのかどうか、分からないからです。社会はそもそも小さい単位が基本になっています。たとえば、行政区の中に班がありますが、葬儀などをはじめ様々なことはこの班が基本単位になっています。そして、この班や行政区を統合して大きくしていけば、効率的だという議論が成り立たないのと同様、自治体の規模についてもいえるのではないかと思うのです。(少し飛躍しすぎですが、、)

 確かに、統合していくことで、表面上のコストは低減できると思います。しかし、地域の一体感によってもたらされていたものが欠如することにより、新たに生まれるコストがあることも事実です。そう考えたとき、コストをトータルで捉えなおしたとき本当に効率的になっているのかどうか、検証されていないと思うのです。ところが、この地域コミュニティによってもたらされている恩恵については実は把握されていないのが現状です。

 現場で働く人間の1人としての実感から上記のように感じています。国の進める合併による効率化(非人間的社会化)よりも大切なものがあると思うのです。民主主義の歴史が長いヨーロッパではその事を経験則として知っているのではないかと感じるのです。さらに、日本の自治体は如何に合併しようとも本当の自治と言えるものは手に入りません。所詮、自治のつもりでしかないのです。(たとえば、学校で炊き立てのご飯を子どもに食べさせる権限すら持っていないのです)

 また、愚痴になってしまいますので、この辺で本題に戻りますが、社会の基本単位のあり方と言う見地、自治の本質と言う見地から、どうしても合併について疑心暗鬼といった気持ちが拭い去れないのです。

 さて、今回の六合からの申し出に対しては上記の理由から、反対だと言うわけにはいきません。と申しますのは、国は人口1万以下の自治体はなくしていくという方針をまだ、持っていますし(政権が自民か民主かでも違いますし、その政党内でも党首によって違ってきますが)、交付税で操作されればひとたまりもないからです(そもそも、交付税の交付団体が大半だと言うことも、税配分的には問題があるのですが、、)。現行の国の方針には不満がありますが、それが解決できない以上、同じ吾妻内で困っている仲間がいる以上これは他人事ではなく自分事だと思うのです。

 現時点で中之条町は自立できるところまで行財政改革ができましたので、いわば、六合村から頼られたといった状態です。六合村も合併の形式にはこだわらないと言っています。つまり、編入合併でかまわないと言うことです。さらに、決してアクセスが良いとはいえない中之条がいいといってくれているのですから、前向きに検討していくべきだと私は考えています。

 結論を言ってしまえば、前回の東部吾妻4カ町村の合併のときは「生き残り」をかけてというイメージが強かったのですが、今回の合併については生き残りというのではなく、中之条町の「義」がためされているといって良いのではないでしょうか。

 014 biennale nakanojo

 

 

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コメント

いつもブログを拝見しています。
六合村との合併について、いろいろと思案されていることと思いますが、中之条町町民としては、町長をはじめ、役場の皆さんの努力によって、「中之条町は自立できるところまで行財政改革ができた」(町長の言葉をかりました)のに、ここで、六合村と合併して、悪い言い方ですが、お荷物を背負い込むようなことにはなりませんか?
その辺りが心配です。
あとは、アクセスです。暮坂のクネクネ道でつながっている村と町が合併して、一体感が生まれるでしょうか?吸収して中之条町となったとしても、孤立してしまう気がします。
勝手な意見ばかり申し上げましたが、町としてメリットデメリットを町民に提示して、町民の意見を十分吸い上げてから、住民投票などで公平に決定していただけますよう、お願い申し上げます。

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